健康経営の新展開 ウェルビーイング経営の実践


健康経営の新展開 ウェルビーイング経営の実践

タレントマネジメントシステム「タレントパレット」を提供する、株式会社プラスアルファ・コンサルティングは、これからの「働く」未来を良くすることを目指し、人材データの活用と分析による科学的人事の方法論の確立を目的として「科学的人事研究会」を2021年に発足。座長に早稲田大学政治経済学術院 教授の大湾秀雄氏を迎え、最新の科学的人事戦略の動向に着目しながら、人材データの活用と分析による知見を深める活動を行っている。2022年9月には、第2期研究会の第3回として「健康経営の新展開 ウェルビーイング経営の実践」をテーマとした定例会を開催。武蔵大学経済学部教授である森永雄太氏の基調講演、大湾氏のミニレクチャーを受けて、参加企業によるディスカッションが行われた。※本記事は、日本の人事部特別取材企画になります。

健康経営からウェルビーイング経営へ(武蔵大学経済学部教授:森永氏)


「健康経営」「ウェルビーイング経営」とは何か

健康経営とは何か。経済産業省HPには「従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践すること」とある。森永氏は、健康経営の推進者である岡田邦夫氏の言葉を伝えた。
 
「健康経営というキーワードを発信された岡田邦夫先生の説明では、『利益を創出するための経営管理と、生産性や創造性向上の源である働く人の心身の健康の両立をめざして、経営の視点から投資を行い、企業内事業として起業しその利益を創出すること(岡田 2015)』とあります。健康経営は企業での生産性と心身の健康の両立を目指すマネジメントと理解するとよいと思います」
 
森永氏は、健康経営に期待される成果は主に四つあると語る。
 
「一つ目は医療費の削減です。企業が負担する医療費が増えていますが、それを抑えることができます。二つ目はメンタルヘルス対策。いきいきと働けるマネジメントや職場づくりにより、メンタル不調を予防することができます。三つ目は業績の向上。従業員がいきいきと前向きに働くことで、パフォーマンスを高めることができます。四つ目はブランド価値の向上。健康経営を対外的にアピールすることがブランディングにつながります。特に人材確保に効果があり、就活生に対して有効です。今日はこの中から『メンタルヘルス対策』『業績の向上』の取り組みについて紹介します」
 
森永氏は、健康経営では主に三つの予防的取り組みを行っていると語る。一つ目はハイリスクアプローチ。健康診断などを通じて、ある疾患に対するリスクが高いと診断された一部だけを対象としていく取り組みだ。二つ目は就業環境に関する制度・施策。社内の制度や施策による予防では、ここ数年、働き方改革において熱心に取り組まれている。三つ目はポピュレーションアプローチ。リスクが高い人だけではなく、健康層も含めた組織成員全体・集団全体を対象とする取り組みだ。


「特に最近は、単に病気を治す、病気にならないといった取り組みではなく、日々のパフォーマンスを維持するためのコンディショニング(状態)向上、復活する力であるレジリエンスを踏まえた取り組みが行われている点に特徴があります」

 
健康経営というと、病気の人を治すといった、マイナスをゼロに戻すようなアプローチが強調されがちだが、実際には、ゼロをプラスに引き上げるような取り組みも含んだ幅広い取り組みが行われている。
 
「こうした考え方はウェルビーイング経営と呼ばれています。ウェルビーイング経営とは、経営管理や人事管理を通じて、従業員のウェルビーイングを高めることにより中長期的なパフォーマンスを高め、持続的な組織の成果に結び付けていくマネジメントの考え方です」
 
では、ウェルビーイングとはどのような状態なのか。
ここで森永氏は、ウェルビーイングに関する三つの次元を紹介した。
 
心理面ウェルビーイング

  • 職務満足度 ・情緒的コミットメント
  • ワークエンゲージメント ・ポジティブ感情

 
健康面ウェルビーイング

  • 仕事のプレッシャー
  • 睡眠の量や質
  • 回復の必要性 (Need for recovery)

 
社会面ウェルビーイング

  • 信頼 ・互恵性 ・協力

 
「例えば、人は挑戦的な仕事をすると心理面ウェルビーイングが高まりますが、同時に疲れやプレッシャーを感じることがあります。企業は従業員に仕事を与えるときに、その両面での効果を考慮していくべきです。最近ではテレワークの導入により個別に仕事をする機会が増えたことで、社会面のウェルビーイングも注目されています。これから企業はより視野を広げて、複数の次元のウェルビーイングを総合的に考慮していくべきだと思います」
 
ただし、健康経営における企業の取り組みは、個別に見れば決して新しい取り組みとはいえない。「以前から安全衛生や健康施策といった取り組みは個別に行われていたが、それぞれが分断されてきたことに問題がある」と森永氏はいう。
 
「さまざまなウェルビーイング施策を連携させて、従業員に自身と関係のある取り組みであると認識してもらうことが重要です。人材開発や組織開発、評価、報酬などもウェルビーイングに関わるものですから、これらも含めてストーリーを立てて連携させていくことが重要です」


森永 雄太氏
武蔵大学経済学部教授
神戸大学経営学研究科博士後期課程修了博士(経営学)。武蔵大学経済学部准教授などを経て現職。書籍に『ウェルビーイング経営の考え方と進め方』労働新聞社、2019年、『リモートワークを科学する I [調査分析編]: データで示す日本企業の課題と対策』白桃書房、2022年(共著)、論文に”Inclusive leadership and knowledge sharing in Japanese workplaces: the role of diversity in the biological sex of workplace personnel” Personnel Review, (共著、ahead-of-print)等がある。

横の取り組み:HHHの会の実践

 
森永氏は、健康経営の実践には「他の施策との連携を図る『横の取り組み』と、自律的行動を促す『縦の取り組み』を掛け合わせることが重要になる」と語る。
 
「横の取り組みとして、私が携わったHHH(Health×Human× Happiness)の会の事例を紹介します。HHHの会は、2016年に行った健康経営のポジティブな側面に注目し研究する17社による研究会で、経営陣主導の取り組みとして実施し、共通での施策・共通質問票による効果測定と導入知見の共有を行いました。
 
行ったイベントは、個人で決めた健康施策をどれだけ行えたかを100日間チームで競う健康施策です。取り組みの途中で情報交換をしながらSNSで『いいね!ボタン(賞賛)』を押して称賛するなど、楽しみながら行えるようにしました」
 
イベントの事前と事後でアンケートを取ったところ、次のような好結果が得られた。

  • 回答者の59.2%が週3日以上SNSにアクセスした
  • 回答者の81.1%で健康への意識が増加した
  • 回答者の62.1%で運動機会が増加した

 
「従業員ウェルビーイングへの影響を調べたところ、協力的モチベーションや組織コミットメントでスコアが伸びていました。これらを見ると、職場の一体感や協力への意欲が高まる効果があったように思います。次に業績への影響を見たところ、創意工夫、支援行動、役割内行動のすべてでスコアが上がっていました。こうした数値を見ると相乗効果として『ゼロからプラスへ』という成果も得られたように思います」

縦の取り組み:自律的行動を促すマネジメント

 
縦の取り組みとは、各々の職場で、自律的に心身の行動を守るような行動が取れるようになるための取り組みだ。ここで重要になるのは現場の巻き込みであり、そのキーパーソンといえるのが現場の推進役だ。
 
「例えば管理職であれば、HR施策を現場に適した形で『お届け』する役割があります。そして、自律的行動を促すマネジメント・スタイルの実践が期待されます。管理職でない推進リーダーの事例では手挙げ方式があります。ウェルビーイング推進に立候補した人に実施を任せていく手法です」
 
最後に森永氏は、自律的行動を促す考え方としてジョブ・クラフティングを紹介した。これは、従業員が仕事に対する認知や行動を自ら主体的に変えていく手法だ。
 
「実践方法には『仕事そのものを変えていく』『関わる関係性を変える』『認知を変える』といったものがあります。そうすることで仕事にやりがいを見出したり、意味を感じて働けるようになったりするのです。こうした行動をうまく職場で実践できるようになると、仕事のストレスを解消しながら働くことができるようになります」

健康経営のためのデータ活用早稲田大学政治経済学術院 大湾氏


健康データを有効に活用できる三つの使い方

 
大湾氏は健康データの有効な使い方は大きく三つあると語る。一つ目はハイリスク層やそこで必要な健康経営施策を特定する使い方だ。健康投資へのリターンをできるだけ上げるためにも、ハイリスク層を意識した施策の選定が大事になる。
 
「例えば、2019年度に11社による人事情報活用研究会を開いたのですが、そのうちの3社で、個人属性を統制した上で、職種が健康診断結果に与える影響を推計しました。すると3社とも営業職でγ―GTP(肝機能を見る検査項目)を中心に数値の悪化が認められました。こうしたデータがあれば営業職は要注意の職種だと考えられるようになります。また、同研究会で『どの健康習慣が診断結果と相関しているか』を調べたところ、『飲酒の頻度』を下げると肝機能がよくなり、『運動習慣』の改善でBMIが下がるといったようないくつかの因果関係が確認できました。このような調査を行うことで、ターゲットとする社員にどのような健康習慣を身につけさせる施策を行えばよいかがわかってきます」
 
ある参加企業では、睡眠が改善(悪化)するとエンゲージメントが上がる(下がる)という関係が見られたため、睡眠改善プログラムを導入した。ただし、プログラム効果の検証で睡眠には改善効果が認められたが、エンゲージメントには変化がなかった。
「しかし、これによって睡眠改善プログラムに効果がないと結論づけるのではなく、組織コミットメントの改善を通じて、中長期的に生産性改善につながる可能性も見る必要があります」
 
健康データの使い方の二つ目は、メンタルヘルス悪化予防のために、職場の支援をモニターする使い方だ。

 

「ワークエンゲージメントに影響を与える組織/仕事の資源で特に重要なのが『上司・同僚のサポート』『仕事の裁量権』です。そして、この『上司・同僚のサポート』に関する質問項目がストレスチェック診断で使われる職業性ストレス簡易質問票に含まれています。上司や同僚からサポートがある人は、ストレスが軽減されることがわかっています。そのため、メンタルヘルス悪化の予防のためには、健康データに含まれる職場支援の職場別数値をモニターすることが効果的といえるのです」
 
健康データの三つ目の使い方は、施策の評価指標としての使い方だ。先ほどの研究会参加企業の一つが、エンゲージメント調査を導入した際に、管理職へのフィードバックだけではなく、手挙げ方式でいくつかの部署で結果に基づく職場対話を実施しました。実施したところでは、その後、エンゲージメント調査の『ソーシャルキャピタル』『エンゲージメント』『対人関係』『失敗を認める』といった指標で有意に数値が改善していました。組織の信頼感や心理的安全性の改善は、組織の資源を高めるので、メンタルヘルスにも影響を与えます。こうした変化を、ストレスチェック診断結果を使って確認することで、施策の評価指標として使うこともできます」


大湾秀雄氏
早稲田大学政治経済学術院 教授
スタンフォード大学Ph.D.(Business)、ワシントン大学オーリン経営大学院助教授、青山学院大学国際マネジメント研究科教授、東京大学社会科学研究所教授を経て現職。データサイエンティストの育成に注力。早稲田大学組織経済実証研究所の所長として人事経済学・組織経済学の普及やフィールド実験など企業とのコラボに注力。(独)経済産業研究所、ファカルティフェロー、ピープル・アナリティクス&HRテクノロジー協会理事、(株)東大エコノミックコンサルティング(UTEcon)アドバイザー。

健康イベントへの奨励メールを使った実験的効果検証

 
次に大湾氏は、健康イベントへの参加を奨励するメールを使った実験的効果検証を紹介した。これは奨励メールによって、イベントへの参加が増やせるのか、また、そうした参加によって健康増進が図れるのかを検証したものだ。
 
「ウォーキングイベント参加の効果を測ることを目的に、ランダムに抽出した約半数の社員に奨励メールを送信しました」
 
では、どういった内容の奨励メールが良いのか。懸念材料と対応策をまとめると次のようになる。

  • メリットを十分に理解していない可能性がある ⇒ 情報提供を行う
  • 先延ばし傾向があり、望ましい行動を取ってくれない ⇒ 今のメリットを強調する
  • 損失回避や社会規範で動く可能性が高い ⇒ 多数派の行動を強調する(ロコミ、申し込み状況の共有)
  • 情報の負荷が多過ぎる可能性がある ⇒ できるだけシンプルなメッセージを送る
  • 行動変容を検討するタイミングがわからない ⇒ 健康診断の直後や昼休時に送信する

 
「ランダムに半数を選び奨励メールを送ったところ、奨励メールが届いた人の申込率は27.7%、対象群(残りの半数)は22.4%で、統計的に有意な差がつきました。ウォーキングイベントへの参加後の効果検証はまだこれからですが、こうしたトライアルを各社で行うと、やり方を改善していくことができるのではないでしょうか」

グループディスカッション

第2部では本日参加している人事がグループに分かれ、以下の質問に沿ってディスカッションが行われた。ディスカッション後は各チームの代表者によってその内容が共有された。
 

Q.健康経営に取り組まれていますか。取り組まれている企業様は、以下の内容について、可能な範囲でご共有ください。

 

(ア)取り組むようになったきっかけ、取り組む内容をどのように選択されたか、またその評価をどのようにされているか。

 
取り組むきっかけには「健康経営調査」「産業医の指摘」「健康への意識改革」などがあり、取り組む内容の選択は「健康経営の優良法人の認定を軸に」「従前からの健康推進の延長」、評価は「社員の意識調査」「健康経営の認定の有無」といった例が聞かれました。
 

(イ)従業員の巻き込み方でどのような工夫をされているか。現場からの反発はないか。

 
巻き込み方では「広く参加できるレクリエーションを企画」「部署ごとに推進担当を置く」「健診の施設での意識付け」といった工夫が行われていました。反発については、禁煙を進める際に喫煙者から不満の声が聞かれた例がありました。
 

(ウ)取組みの中で健康データを活用されているか。その場合、どうお使いになっているか。

 
「部署ごとに分析し、社員の意識調査と並行して経年で見る」「精密検査の受診率、肥満率、ストレスチェックの受診率の数値をKPIとして掲げ、対外にも公表」「イントラネットに参考データを掲載し、各人にフィードバック」「意識調査に健康データの項目を盛り込み、プレゼンティズムなどの評価を行う」といった活用例がありました。また、課題感としては「健康データの活用が不十分」「十分なデータ分析が行えていない」といった声が聞かれました。
 

(エ)健康経営優良法人を取得された企業様、あるいは申請された企業様はその効用をどう捉えていらっしゃるか。

 
効用では「取得によって客観的な偏差値がわかる」「審査項目でできていない点は改善を推進する指標になる」「採用時の学生や取引先からよい評価が得られる」という声が聞かれました。他にも「グループ会社への波及効果」「生産性の向上」「離職率の低下」「公的な入札での加点」などがありました。
 
最後に森永氏、大湾氏が講評を述べて、研究会は終了した。
 
森永:健康経営への取り組みとして、「従業員に運動を過剰なほど行う人がいたので、その人向けに適正範囲を示した」といった運営面の工夫の話があり、大変興味深く聞かせていただきました。また、採用への効果がありそうだという話がありましたが、私も健康経営の採用への影響には関心を持っており、特に中小企業ではブランディング効果が得られるのではないかと思っています。
 
学会では「健康経営を行うことで採用での学生の質が変わってくる」といった研究も出ています。今後、健康経営においては、応募してくる学生の質の向上や企業文化へのフィット感が高まる効果が注目されるかもしれません。
 
大湾:健康データを使うとき、一番大事なのは可視化することです。目で見えると認識が新たになり、改善への取り組みの意欲も増します。また、データを見ることは、職場や部署による働き方や環境の違いによる、健康への影響を発見することにもつながります。例えば「社員数に対して食堂の席数が少ないので、急いで昼食を食べなければいけない」「職場に喫煙者が多く、自分も影響されてしまう」といった傾向は健康にマイナスの影響を与えます。これからも健康データから気づきを得ることをぜひ大事にしていただきたいと思います。本日はありがとうございました。