第3回:付加価値を生む3つの「非」〈後編〉──非合理判断と人事の再定義


第3回:付加価値を生む3つの「非」〈後編〉──非合理判断と人事の再定義

連載「人材流動化時代の人的資本経営」

前編では、AI時代の人材開発が投資すべき対象を「3つの非」として提示した。マーケティングに「不便・不安・不満」という古典的な「3つの不」があるように、AI時代の人材開発には「非認知能力・非金銭報酬・非合理判断」という3つの「非」がある ── そう補助線を引いた上で、前編では最初の2つを論じた。AIが認知の仕事を引き受けるほど、企業の付加価値は非認知の側にしか残らないこと(1番目の「非」)。給与や制度では毎日は渡せない社員の熱意を、意味・関係・成長という非金銭報酬が日々作り直すこと(2番目の「非」)。

読み進める前に、前編で置いた補助線を1つだけ確認しておきたい。意思決定を「観察→分析→判断→実行(賭ける)」の4つのプロセスに分解すると、AIの得意領域は真ん中の「分析」と「判断」に重なる。人に残るのは、両端の「観察」と「実行(賭ける)」である。本稿が扱う3番目の「非」は、この最後の「実行(賭ける)」に当たる。

そしてもう1つ。3つの「非」を絵に描いた餅で終わらせないためには、それを現場に届ける側 ── 人事部門の役割そのものが変わらなければならない。後編では、そこまで踏み込む。

前回、AI時代の人材開発が投資すべき対象を「3つの非」として提示した。マーケティングに「不便・不安・不満」という古典的な「3つの不」があるように、AI時代の人材開発には「非認知能力・非金銭報酬・非合理判断」という3つの「非」がある ── そう補助線を引いたうえで、前編では最初の二つを論じた。AIが認知の仕事を引き受けるほど、企業の付加価値は非認知の側にしか残らないこと(1番目の「非」)。給与や制度では毎日は渡せない社員の熱意を、意味・関係・成長という非金銭報酬が日々つくり直すこと(2番目の「非」)。

読み進める前に、前編で置いた補助線を一つだけ確認しておきたい。意思決定を「観察→分析→判断→実行(賭ける)」の4つのプロセスに分解すると、AIの得意領域は真ん中の「分析」と「判断」に重なる。人に残るのは、両端の「観察」と「実行(賭ける)」である。本稿が扱う3番目の「非」は、この最後の「実行(賭ける)」にあたる。

そしてもう1つ。3つの「非」を絵に描いた餅で終わらせないためには、それを現場に届ける側 ── 人事部門の役割そのものが変わらなければならない。後編では、そこまで踏み込む。

3番目の「非」── 非合理判断

3番目は、非合理判断である。ここでいう非合理とは、合理性の欠如ではない。「合理性の外」を指す。根拠が完全に揃わない状況で決める、結果に責任を引き受ける、そして間違っていたら修正する。この一連の動きを、私は非合理判断と呼ぶ。意思決定4プロセスの「実行(賭ける)」に当たる領域である。

AIが「分析」と「判断」を担うほど、リーダーもマネジャーも、そして社員一人ひとりも、非合理判断を求められる場面が増えていく。AIが根拠に基づく判断を出せるのは、必ず「与えられた根拠の範囲内」だからである。事業の未来、組織の変革、人の登用、投資の実行。いずれも、根拠が完全には揃わない中で下すしかない意思決定である。

ATD26の3つの基調講演は、奇しくも揃って、この非合理判断を主題にしていた。

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ATD2026 3人の基調講演者が語った「賭ける力・意思決定力」

元OpenAI対外戦略責任者でAIフューチャリストの Zack Kass は、こう投げかけた。

「自動化の境界は、誰も教えてくれない。すべてを自動化できる時代、どこで止めるかはリーダー自身が決めるしかない」

技術的にできることの全てを、企業として実装すべきとは限らない。人にどの領域を残すか、AIにどこまで任せるか。その判断は、経営の非合理判断そのものである。

Eleven Madison Park の元共同経営者 Will Guidara が語った中で最も鮮烈だったのは、同店が World's 50 Best Restaurants で50位、つまり最下位に位置づけられた夜の話だ。パートナーであるシェフ Daniel Humm と立て直しを話し合ったその夜、Guidara が選んだのは、マーケティング投資でもメニュー改良でもなく、ホスピタリティに賭けることだった。ROIで立証できる打ち手ではない。それでも彼は、そこに賭けた。数年後、Eleven Madison Park は世界1位に

『Multipliers』の著者で、The Wiseman Group CEO の Liz Wiseman は、こう語った。

「ほとんどのリーダーは、真っ暗な中で道を探している。地図はない。前任者の正解もない。あるのは、暗闇の中で小さな一歩を踏み出す勇気だけだ」

評論家は賭けない。当事者だけが動く。これは、Wisemanの研究が一貫して主張してきたことである。

非合理判断は、リーダー層だけの話ではない。ATD26が強調したもう1つのテーマ「Personal Leadership Capabilities」(個人が自身を率いるリーダーシップ)は、社員一人ひとりが日常業務の中で非合理判断を積み重ねられるか、という問いに向けられている。目の前の事態を自分ごととして引き受け、根拠が不完全でも自分の一歩を踏み出す。当事者意識と非合理判断は、同じコインの表裏である。

3つの「非」が示すもの ── AIに任せられない領域にこそ、付加価値がある

非認知能力、非金銭報酬、非合理判断。3つの「非」を並べると、共通の輪郭が浮かび上がる。いずれも、AIが担えない領域を指しているのである。

非認知能力は、AIが持ちえない性質――好奇心、共感、意味づけ、粘り――に踏み込む。非金銭報酬は、経済合理性で置き換えられない、人と人との関係性の中でしか受け渡されない価値を扱う。非合理判断は、AIが示せる根拠の外にある、リスクを引き受けた決断そのものを指す。3つとも、「AIには任せられない」という同じ一点を指している

AIの導入率がある水準を超えた時、企業の競争力は「AIをどれだけ使ったか」ではなく、「AIに任せずに人に残したものを、どれだけ設計したか」で決まっていく。人材開発の投資判断は、AIには担えない領域を、意識して育てられるかにかかっている。その意味で、3つの「非」は、AI時代の人的資本経営における設計変数そのものである。

そしてこの設計を実行に落とすには、人事部門の役割そのものが変わらなければならない。HR 2.0(戦略人事=人事部門が HRBP として事業に入り込む)から、HR 3.0(経営人事=人事は戦略に集中し、日々の実行はマネジャーが担い、それをAIが支える)への進化である。1on1、目標設定、評価、フィードバック。これらの日常的な人材開発の実行は、マネジャーの手に戻る。人事の仕事は、マネジャーが3つの「非」を渡せるように、仕組みと言語を設計することに移っていく

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人事の進化 ── HR 1.0(管理)/HR 2.0(戦略人事)/HR 3.0(経営人事)

本シリーズの問い

第1回で、人的資本経営の本質は「スキル」を結節点としたデータテクノロジーとの接続にあると論じた。第2回では、その結節点を活かすためには組織にHIの厚みが要ることを、ATD26の3つの基調講演から論じた。そして第3回と本稿では、そのHIを現場で組み立てるための投資対象として、3つの「非」── 非認知能力・非金銭報酬・非合理判断 ── を提示した。

マーケティングが「3つの不」を起点に付加価値を組み立ててきたように、AI時代の人材開発は「3つの非」を起点に、組織の付加価値を組み立て直すことになる。

問いはこうだ。あなたの会社の人材開発は、AIが得意な認知能力の側に投資し続けているのか。それとも、AIには任せられない3つの「非」に、意識して投資しているのか。

次回は、この3つの「非」を実装する主体としての人事を論じる。採用・育成・戦略人事という3つの機能が、AI時代に1つの仕事へ統合されていく――その構造的な必然について。

この記事の執筆者

永島寛之

HR未来共創研究所 研究員(トイトイ合同会社代表社員) 

ソニー USA を経て、ニトリ HD で採用改革・組織改革を実現。CHRO として似鳥会長直下で 2030 年に向けた人材ポートフォリオの刷新、タレントマネジメントの視点での組織改革を指揮。その後、再生可能エネルギーを扱うレノバで執行役員 CHRO を経て、現在はトイトイ合同会社を設立。定着と活躍を前提とした採用プロセスとブランドの設計、戦略的配置転換の仕組み、人事制度の実効性向上施策など、次世代の組織づくりを個別で支援。顧問先は 15 社、年間講演数は 100 回を超える。