第1回:人的資本とシリコン資本


第1回:人的資本とシリコン資本

連載「AI時代の企業進化論」

AIの進化が、企業のあり方を大きく変えていくことは間違いない。ただし、その変化は必ずしも連続的に進むとは限らず、非連続な形で訪れるだろう。だからこそ、各企業が自らの進化の道筋を描き、戦略的にAIを取り込んでいくことが重要になる。本連載では、AIの取り入れ方を起点に、人材や組織のトランスフォーメーションのあり方までを考えていきたい。

第1回 人的資本とシリコン資本

「高い!」―AI活用の罠になりつつある膨大なトークンコスト

「AIを活用せよ!」—社員にそう号令をかけてきた経営者が、いま愕然として見つめているのは、AIの請求書かもしれない。AIが処理する情報量の単位である「トークン」は、プログラム開発や複雑な業務を任せるほど消費量が増え、しかも最新鋭のモデルほどコストがかさむ。ガートナーは、2028年までにAIによるコーディングのコストが開発者の平均給与を上回ると予測している。これは、「AIを使えば使うほど生産性が高まる」という初期の単純な期待に、見直しを迫る動きといえる。

もっとも、AIのコストが人件費を上回れば、それだけで失敗というわけではない。投じたコスト以上の付加価値を生み出せるなら、合理的な投資である。問うべきはAIの利用量そのものではなく、「成果一件当たりの総コスト」だ。AIの利用料だけでなく、人間による確認や修正に要するコストまで含めて評価する必要がある。

単純な処理には軽量なAIを、高度な判断には高性能なAIを使う。機密性の高い業務では、自社管理の環境を選ぶことも考えられる。ただし、内製化すれば安くなり、情報流出のリスクもなくなるわけではない。構築・運用コストや管理体制まで含め、全体最適の観点から判断することが欠かせない。

AIを「シリコン資本」として捉える

ここで重要になるのが、AIを単なる「人的資本の生産性を高める道具」としてではなく、新たな価値を継続的に生み出す「シリコン資本」として捉える視点である。シリコン資本とは、AIモデルや計算基盤に、自社固有のデータ、業務手順、判断基準、改善の履歴を組み合わせ、繰り返し価値を生み出していく仕組みを指す。

象徴的なのが、インドの縫製工場などで、従業員が頭部にカメラを装着し、その作業映像をロボット向けの学習データとして収集する動きである。人の技能をデジタル化し、将来の自動化に活かす取り組みが、既に現場で始まっている。もちろん、ミシンロボットや汎用人型ロボットなどのコストが現在の人件費を下回るまでは、P/L上の効果が見えにくく、本格的な実用化には至らないだろう。しかし、こうして蓄積されたデータはいずれ、資本として大きな価値を発揮する日が必ず来る。すなわち、現在の人的資本に埋め込まれている知識や技能をデータとしてシリコン資本へ転移し、それが将来価値を生み出す——そうした構造である。

(出所)https://amp.scroll.in/article/1092960/how-big-tech-is-harnessing-the-data-of-indian-factory-workers-to-train-robots

もとより、映像を集めれば熟練技能の全てを丸ごと再現できるわけではない。それでも、個人に蓄積された経験を組織として再利用できる可能性は大きく広がる。とりわけ日本企業においては、現場で働く人の同意を得ること、その技能を正当に評価すること、生まれた利益を還元すること、などといった施策も重要になる。人的資本から一方的に価値を取り出す仕組みでは、知恵や経験を提供しようとする意欲も、企業へのエンゲージメントそのものも失われてしまうからだ。

フォアキャストとバックキャストで考えるべき投資戦略

こうした投資は、2つの異なる時間軸から考える必要がある。

1つはフォアキャスト、すなわち現在の業務や技術を出発点に、改善を積み上げていく考え方だ。どの仕事に何時間かかり、AIによってどれだけ短縮できるのか。品質を維持したまま、総コストを下げられるのか。例えば問い合わせ対応であれば、回答文の作成時間だけでなく、その後の確認や再対応まで含めて効果を測る必要がある。これは、足元の収益力を高めるための投資である。

もう一つはバックキャストである。将来どのような顧客価値を提供する企業になりたいかを定め、そこから現在の投資を逆算する。例えば、顧客の設備故障を未然に防ぐ事業を目指すなら、目先の報告書作成を効率化するだけでは足りない。設備の稼働データと熟練者の診断理由を結び付け、継続的に学習し続ける基盤を構築する必要がある。

前者だけでは、既存業務の効率化にとどまりやすい。後者だけでは、成果の見えない構想に投資し続けることになりかねない。短期の改善で効果と限界を見極めながら、将来の競争力に必要な資本を蓄積していく。経営には、この2つの時間軸を接続し、人的資本とシリコン資本への投資をどのように配分するか、自社にとって最適なバランスを見極めることが求められる。

必要となるAIトランスフォーメーションのロードマップ

この2つの時間軸を具体的な変革へとつなげるのが、AIトランスフォーメーション、すなわちAXのロードマップである。大きく3つの段階に分けて考えると分かりやすい。

第一段階は、既存業務の中でAIを活用する段階だ。資料作成や調査などから着手し、時間・品質・コストがどう変わったかを比較検証する。同時に、効果のあった使い方や判断基準を共有し、個人の工夫を組織の資産へ変えていく。

第二段階は、AIを前提に業務プロセス全体を設計し直す段階だ。各部署の作業が速くなっても、部署間の転記や承認待ちが残っていれば、全体の成果は伸びない。データをつなぎ、不要な手続きや分業を見直すことで、顧客に価値が届くまでの時間を短縮する。

第三段階は、AIエージェントが一定範囲の業務を自律的に担い、人間の役割そのものを再定義する段階だ。人間は目的の設定、例外への対応、顧客との信頼形成、そして最終的な責任を担う。そのためには、AIに委ねる権限、停止の条件、人間に判断を戻す基準を明確にしなければならない。

これら三つの段階は、全社一斉に進むものではない。業務ごとの成熟度に応じて歩みを進め、成果とリスクを確かめながら、AIに任せる範囲を広げていくべきだ。人材育成や評価制度もまた、その歩みに合わせて変えていく必要がある。

AI時代の企業進化とは、単に人をAIに置き換えることだけではない。人が新たな知恵を生み、それをシリコン資本に蓄積し、その力を得て人がさらに高い価値を生み出す。この循環を設計できるかどうかが、これからの企業の競争力を左右するのである。

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この記事の執筆者

藤元健太郎

D4DR(ディー・フォー・ディー・アール)株式会社

代表取締役

(HR未来共創研究所 所長)

【委員等】

  • 日本情報経済社会推進協会(JIPDEC)アドバイザリー委員,g-life委員会委員長
  • 日経MJ(日経流通新聞)コラムECの波頭,奔流eビジネス連載
  • BSジャパン日経プラス10 コメンテーター
  • J-WAVE,TBSラジオ 解説
    その他委員、講演多数

HR未来共創研究所 所長。

1993年からインターネットビジネスの研究を開始し、1994年に野村総合研究所で日本最初のインターネット上のオープンイノベーションプロジェクトであるサイバービジネスパークをトータルプロデューサーとして立ち上げる。
2002年にD4DR株式会社を設立、その後多くの企業や自治体などのeビジネス参入支援・マーケティング戦略・新規事業立案など多数のコンサルティングを手がけている。未来社会を提言するシンクタンクFPRCを立ち上げ、江戸の仕組みがポスト工業化社会のヒントであるという「超江戸社会」を提唱。
スタートアップビジネスにも関わり、PLANTIOを始め数社の取締役、社外取締役などを務める。各種研究会などにも積極的に関わり、次世代のリテールを研究するNext Retail LabやVRアカデミーなどの幹事や座長、理事などを多数務める。関東学院大学非常勤講師。日経MJの月次コラム「奔流eビジネス」を10年間担当した。
主な書籍として『サイバー市場の可能性』(生産性出版)、『ニューノーマル時代のビジネス革命』(日経BP)がある。