経済産業省は過去数回にわたり、伊藤レポートや人材版伊藤レポートを公表してきました。両レポートは人的資本経営を促進させる手がかりとなります。しかし、両レポートの違いや、各レポートの内容がよくわからない人もいるでしょう。この記事では、伊藤レポートと人材版伊藤レポートについて、基本的な内容や人的資本経営への生かし方などを解説します。
人的資本経営と伊藤レポートの関係性
人的資本経営の概要に触れつつ、伊藤レポートとの関係性について解説します。
各企業が重視する人的資本経営とは
人的資本経営は、人材を労働力としてではなく、企業の成長を支える重要な「資本」として捉える経営手法です。企業が持続的に成長するためには、投資と育成を通じて、人材の価値を継続的に高めていく必要があるとされています。人的資本の価値を高めることが、企業価値の向上につながると考えられているためです。
人的資本経営の促進を図る伊藤レポート
経済産業省が2014年に公表した伊藤レポートには、「持続的成長への競争力とインセンティブ ~企業と投資家の望ましい関係構築~」というプロジェクトの成果がまとめられました。
伊藤レポートという名称は、プロジェクトの座長を務めた伊藤邦雄氏の名前に由来しています。また、以降に発表された、伊藤レポートのブラッシュアップ版や、人材開発に重点を置いた「人材版伊藤レポート」にも、この名称が引き継がれました。
人的資本経営が重視される理由
人的資本経営が重視される主な理由は、少子高齢化による労働力不足です。各企業は限られた人材の価値を高めることで、生産性や競争力の向上を目指しています。
ESG投資の観点からも、人的資本経営の実践は重要です。ESG投資では、環境・社会・ガバナンスへの取り組みが評価されます。人的資本経営の実践により、社員の人権や働きがいを重視する体制を投資家に示すことが可能です。
経済産業省が順次公表した伊藤レポート・人材版伊藤レポート
経済産業省が公表した報告書を、以下に時系列順にまとめました。
レポートの通称 | 公表年月 | プロジェクト名 |
---|---|---|
伊藤レポート | 2014年8月 | 「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト |
伊藤レポート2.0 | 2017年10月 | 持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資) 研究会報告書 |
人材版伊藤レポート | 2020年9月 | 持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 |
人材版伊藤レポート2.0 | 2022年5月 | 人的資本経営の実現に向けた検討会報告書 |
伊藤レポート3.0 | 2022年8月 | サステナブルな企業価値創造のための長期経営・ 長期投資に資する対話研究会(SX研究会)報告書 |
人材版伊藤レポートと伊藤レポートとの違い
両レポートは、いずれも日本企業の持続的な成長を目指してまとめられた報告書です。ただし、両レポートは、重点を置いている内容が異なります。人材版伊藤レポートは、人材開発に重点を置いてまとめられました。一方、伊藤レポートでは、企業と投資家の望ましい関係性の構築について強く言及しています。
【2014年公表】伊藤レポートの基本
最初に報告された伊藤レポートについて、基本的な内容や公表された背景などを解説します。
※参考:「持続的成長への競争力とインセンティブ ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト (伊藤レポート) 最終報告書|経済産業省
伊藤レポートの概要と目的
伊藤レポートは、日本企業の持続的な成長を実現する目的で、企業と投資家が手を取り合う大切さについて報告しました。資本効率を重視した経営を実践すると、企業は長期的な投資を獲得できます。また、投資家としても、中長期的な視点で企業を支援することが可能です。本レポートでは特に、中長期的なROEの向上のための具体的な施策が示されています。
伊藤レポートが求めたROEの基準
伊藤レポートでは、企業の資本効率を示す指標としてROE(自己資本利益率)に着目し、最低でも8%以上を目指すよう推奨しています。ROEは以下の式で算出可能です。
- ROE(%)=当期純利益÷自己資本 ×100
ROEが高いほど企業の経営効率が良好とされます。高いROEを実現できている企業は、投資対象として高く評価される傾向です。
伊藤レポートに掲載された6つの基本メッセージ
伊藤レポートに記載された基本メッセージは、以下のとおりです。
- 持続的成長の障害となる慣習やレガシーとの決別を
- イノベーション創出と高収益性を同時実現するモデル国家を
- 企業と投資家の「協創」による持続的価値創造を
- 資本コストを上回るROEを、そして資本効率革命を
- 企業と投資家による「高質の対話」を追求する「対話先進国」へ
- 全体最適に立ったインベストメント・チェーン変革を
※引用:「持続的成長への競争力とインセンティブ ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト (伊藤レポート) 最終報告書|経済産業省
伊藤レポートが公表された背景
伊藤レポートが公表された2014年当時、日本企業の収益は芳しくありませんでした。欧米企業と比較すると、資本効率を示すROEや、売上高に対する利益率を表すROSにおいて、大きな差が生じていました。ROSは、企業の収益力を測るものです。ROSが高い企業は本業や本業以外の事業で多くの収益を上げている可能性があります。
【2017年公表】伊藤レポート2.0の基本
2017年に公表された伊藤レポート2.0について、基本的な内容や公表の背景を解説します。
※参考:伊藤レポート2.0 持続的成長に向けた長期投資(ESG・無形資産投資) 研究会 報告書|経済産業省
伊藤レポート2.0の概要と目的
2014年に公表された従来の伊藤レポートの内容をブラッシュアップしたものが、伊藤レポート2.0です。企業と投資家の関係構築がより円滑に進むように、本レポートでは、両者の共通言語となる「価値協創ガイダンス」の活用を提唱しました。
伊藤レポート2.0が公表された背景
伊藤レポート2.0が公表された2017年当時は、会社法改正やコーポレートガバナンスに関する制度改革が進み、企業と投資家が建設的な対話を行う重要性が広く認識されていました。しかし、制度が整備されたとしても、具体的な取り組みが進むとは限りません。
本レポートが公表された理由は、企業と投資家の持続的な協創関係の構築に向けた具体的な施策を示すためです。
【2020年公表】人材版伊藤レポートの基本
人材開発に重点を置かれた、2020年公表の人材版伊藤レポートについて基本情報を解説します。
※参考:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
人材版伊藤レポートの概要と目的
2020年に公表された人材版伊藤レポートでは、企業を持続的な成長へと導くために、人的資本の活用方法と人材戦略について報告されました。特に、ビジネスモデル・経営戦略・人材戦略を効果的に連携させるために、経営陣・取締役会・投資家というそれぞれの立場に分けて、取り組むべき具体的な施策が示されています。
人材版伊藤レポートが公表された背景
近年、デジタル化やグローバル化に見られるように、企業や個人を取り巻く環境は急速に変化しました。各企業は、従来の「人的資源管理」から「人的資本経営」へ、また「人事施策」から「人材戦略」へと、戦略的な人材マネジメントへの転換が必要になります。変化に適切に対応できない企業は、持続的な成長が困難になるためです。
以上のような状況を鑑みて、人材版伊藤レポートは、企業の人材マネジメントの変革を促進するために公表されました。
人材版伊藤レポートにおける3つの視点
人材版伊藤レポートについて、ビジネスモデル・経営戦略・人材戦略を連動させるための3つの視点を解説します。
1.経営戦略と人材戦略を連動させる
経営戦略と人材戦略を連動させるポイントとして、人材版伊藤レポートでは人材を可視化する重要性が強調されています。レポートに記載された具体的な施策は、以下のとおりです。
- (1)CHROの設置
- (2)全社的経営課題の抽出
- (3)KPIの設定、背景・理由の説明
- (4)人事と事業の両部門の役割分担の検証、人事部門の ケイパビリティ向上
- (5)サクセッションプランの具体的プログラム化
- (6)指名委員会委員長への社外取締役の登用
- (7)役員報酬への人材に関するKPIの反映
CHROの設置により、人材戦略を経営レベルで推進する体制を整えましょう。KPIの設定は、人材戦略の効果確認に役立ちます。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
2.「As is - To beギャップ」を定量把握する
「As is」は現状を、「To be」は理想の状態を意味します。「As is-To beギャップの定量把握」のための具体的な施策は、以下のとおりです。
- (1)人事情報基盤の整備
- (2)動的な人材ポートフォリオ計画を踏まえた目標や達成までの期間の設定
- (3)定量把握する項目の一覧化
上記施策により、企業は現状の人材状況と目指すべき状態とのギャップを、数値で把握できるようになります。特に人事情報基盤の整備は、正確なデータに基づいて人材の現状を分析し、具体的な目標設定と進捗管理を可能にする重要な取り組みです。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
3.企業文化へ定着させる
「企業文化への定着」のための具体的な施策は、以下のとおりです。
- (1)企業理念、企業の存在意義、企業文化の定義
- (2)社員の具体的な行動や姿勢への紐付け
- (3)CEO・CHROと社員の対話の場の設定
上記施策により、企業の価値観や目指す方向性を全社員で共有して、実際の行動につなげましょう。特に、CEOやCHROと社員が直接対話する機会を設けると、経営層の意図が社員に伝わり、企業の状態について理解と共感を得られやすくなります。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
人材版伊藤レポートにおける5つの共通要素
人材版伊藤レポートについて、人的資本経営を実現するために企業が取り組むべき5つの共通要素を解説します。
1.動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用
「動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用」とは、人材を可視化し、戦略的な人材配置を実現するための手法のことです。具体的な施策は、以下のとおりです。
- (1)将来の事業構想を踏まえた中期的な人材ポートフォリオのギャップ分析
- (2)ギャップを踏まえた、平時からの人材の再配置、外部からの獲得
- (3)学生の採用・選考戦略の開示
- (4)博士人材等の専門人材の積極的な採用
上記施策を実施すると、企業の将来に必要な人材を計画的かつ速やかに確保できるようになります。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
2.ダイバーシティ&インクルージョンの推進
「ダイバーシティ&インクルージョンの推進」は、社内の多様性を促進させるための手法を指します。多様性促進のための具体的な施策は、以下のとおりです。
- (1)キャリア採用や外国人の比率・定着・能力発揮のモニタリング
- (2)課長やマネージャーによるマネジメント方針の共有
知識や経験、価値観など目に見えない要素が多様化すると、社内の人的資本が充実します。イノベーションの創出や企業の持続的な成長につなげるため、ダイバーシティ&インクルージョンの推進に努めましょう。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
3.リスキル・学び直しの推進
「リスキル・学び直しの推進」は、社員のキャリア形成を促すための手法を指します。自律的なキャリア形成に向けた具体的な施策は以下のとおりです。
- (1)組織として不足しているスキル・専門性の特定
- (2)社内外からのキーパーソンの登用、当該キーパーソンによる社内でのスキル伝播
- (3)リスキルと処遇や報酬の連動
- (4)社外での学習機会の戦略的提供(サバティカル休暇、留学等)
- (5)社内起業・出向起業等の支援
上記施策により新しいスキルを習得した社員は、変化する環境に対応できる人材に成長すると期待されています。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
リスキリングが注目されている理由と取り組むメリット4選!実行方法や注意点も紹介
4.社員エンゲージメントの向上
社員のパフォーマンスを高めるには、以下の施策により社員エンゲージメントを高める必要があります。
- (1)社員のエンゲージメントレベルの把握
- (2)エンゲージメントレベルに応じたストレッチアサインメント
- (3)社内のできるだけ広いポジションの公募制化
- (4)副業・兼業等の多様な働き方の推進
- (5)健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み
働きがいを感じた社員は、業務や自己啓発に関心を示すようになります。主体的に働く社員が増えると、企業の生産性向上も見込めるでしょう。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
eNPSとは?従業員のエンゲージメントを高める具体的な方法・メリットを解説
5.柔軟な働き方の推進
効率のよい働き方の実現に向けて、時間や場所を問わず働ける環境が求められます。「柔軟な働き方の推進」のための具体的な施策は以下のとおりです。
- (1)リモートワークを円滑化するための、業務のデジタル化の推進
- (2)リアルワークの意義の再定義と、リモートワークとの組み合わせ
上記施策により、社員は働く時間や場所を柔軟に選択できます。個人の生産性が向上すると、企業の生産性も引き上げられるでしょう。
※引用:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
【2022年公表】人材版伊藤レポート2.0の基本
人的資本経営の実践をさらに促進する目的で公表された、人材版伊藤レポート2.0について解説します。
※参考:人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0~|経済産業省
人材版伊藤レポート2.0の概要と目的
人材版伊藤レポート2.0は、人的資本経営の実践を後押しする目的で、2022年に公表されました。本レポートには、前回示された人的資本経営の実現に役立つ、さまざまな企業の実践例が盛り込まれています。自社の状況や課題に適した取り組みを参考にして、人的資本経営を実践しましょう。
人材版伊藤レポート2.0が公表された背景
人材版伊藤レポート2.0は、前回の人材版伊藤レポートが大きな反響を得たことを受けて公表されました。企業のニーズに応えるため、近年のビジネス環境に配慮した具体的な実践例やアイデアが提示されています。
【2022年公表】最新版となる伊藤レポート3.0の基本
2025年1月時点で最新版に位置づけられている、伊藤レポート3.0について解説します。
※参考:伊藤レポート3.0 (SX版伊藤レポート) サステナブルな企業価値創造のための長期経営・ 長期投資に資する対話研究会(SX研究会)報告書|経済産業省
伊藤レポート3.0の概要と目的
2022年に公表された伊藤レポート3.0は、SX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)版伊藤レポートとしても知られています。本レポートは、企業が持続可能な社会の実現に向けて取り組むべき課題や方向性を示すとともに、具体的な施策についても言及しています。
伊藤レポート3.0が公表された背景
伊藤レポート3.0は、気候変動対策やサステナビリティへの関心が世界的に高まり、ESG投資が急速に拡大するなかで公表されました。本レポートでは、企業価値の向上と持続的な成長を両立させるために、サステナビリティへの取り組みを経営の中核に据えるべきと提言しています。企業が成長し続けるには、事業活動を通じて社会課題の解決に貢献する必要があるためです。
人的資本経営に向けた2つのステップ
人的資本経営に向けた2つのステップとして、リサーチと計画策定について解説します。
1.リサーチ
人的資本経営に取り組むにあたって、現状を把握するためのリサーチは不可欠です。リサーチでは、社員の持つスキルや能力の現状を分析し、企業が目指す理想の状態とのギャップを明確にします。既存の制度や仕組みでギャップを解消できるか判断し、必要に応じて新たな施策を検討しましょう。
2.計画策定
リサーチで明らかになったギャップを解消するための計画を策定しましょう。効果確認できるように明確なKPIを設定し、具体的な戦略を立案することが重要です。企業の状況や課題に応じて、社員エンゲージメントの強化やキャリア開発の推進など、重点を置く施策は異なります。
人的資本経営の実践例
人的資本経営の実践例として、旭化成株式会社と花王株式会社の例を解説します。
旭化成株式会社
旭化成株式会社は、経営戦略の実現に必要な人材を体系的にまとめた「人財ポートフォリオ」を設定しています。特に、高い専門性を持つ人材については、具体的な要件を定義し、人員数の目標を設定して進捗を管理しました。また、職場環境や、社員の活力と成長に向けた行動を測定するために、同社は独自のエンゲージメント調査を毎年実施しています。
花王株式会社
花王株式会社は、社員の自律的な成長と組織の活性化を目指し、2021年から目標管理手法にOKR(Objectives & Key Results)を導入しました。社員自ら設定した目標は社内で共有され、相互理解と協働が促進されています。
また、同社は、積極的なDiversity推進計画も展開中です。各人事部門とD&I推進部門が連携しながら、多様な人材の活躍を支援する体制を構築し、インクルーシブな職場環境の実現に取り組んでいます。
人的資本情報の開示を定めた人的資本可視化指針
人的資本に関する情報開示は、投資家をはじめとするステークホルダーとの信頼関係を構築するうえで、重要な役割を果たします。
2022年8月に内閣官房から公表された「人的資本可視化指針」では、企業が開示すべき人的資本に関する情報の分野と具体的な内容が示されました。指針により、企業の人的資本に関する取り組みの可視化が進むと期待されています。
※参考:人的資本可視化指針|内閣官房
まとめ
伊藤レポートでは、企業と投資家との建設的な対話や協創関係の構築に重点が置かれました。一方、2020年に公表された人材版伊藤レポートは、人的資本経営の重要性を指摘したうえで、人材戦略のあり方を重点的に報告しています。
タレントパレットは、多くの導入実績を持つタレントマネジメントシステムです。長きにわたるHRテック分野での経験と最新の知見を基に開発されています。人材版伊藤レポートに基づき人的資本経営に取り組みたい場合は、ぜひ導入をご検討ください。